大人になっても覚えてる 赤ちゃん・幼児のシリーズ絵本
寝る前に毛布にくるまりながら読んでもらった絵本の思い出は、ほの温かい毛布の感触まで想起させる。幸せな思い出と共に蘇った懐かしい絵本たち。憔悴しきった心にほんのりと温かいものを感じさせてくれた。好きだったものを思い出す作業は、心を穏やかにさせエネルギーをくれる。
今度は自分の子供達に読み聞かせたい。子供ができた友人に贈りたい。
子供ができた時に一緒に読み思い出を作りたい絵本シリーズ。
どんどこももんちゃん シリーズ
好きすぎてもう5年も、ももんちゃんをLINEのアイコンにしている。ももんちゃんが色々なことに挑戦していくおはなしで、うまく言葉を理解したりまだ上手にお話ができたりしないような年齢の子供でも、可愛らしい絵と分かりやすくリズミカルな言葉に心奪われる。
一番下の弟が小さい頃大好きだった絵本のうちのひとつ。どんどこどんどこ、ももんちゃんと一緒に体を動かしたり、ももんちゃんと一緒にお昼寝してみたり。ももんちゃんのまねっこしてお風呂にざぶーんと入ったこともあった。ももんちゃんのぬいぐるみも欲しくなってくること間違いなし。プレゼントとして贈るのも間違いがないシリーズ。
ねないこだれだ シリーズ
私たち姉弟は全員この絵本シリーズでいやいや期を乗り越えたと言っても過言ではない!とにかくいやいや期の子供におすすめ。
おばけや幽霊、鬼などの実在しないもので幼児の恐怖を煽るのはことに否定的な意見も多いけれど、実際子育てをしてみるとそんなことは言ってられない場面が多々あるもの。とにかく寝て欲しい…とにかくご飯を食べて欲しい…そんな時にこの絵本シリーズが大活躍。
何でもいやいや言ってるネコちゃんがお空に飛んで行ってそのまま帰ってこない…
いやいや言って寝ない子がおばけに連れていかれておばけになってしまう…
そんな救われないエンディングが尚更子供の心に響く。
「ね~な~い~子~だ~れ~だーーーー!」というだけでぎゅっと目をつぶりいつの間にか寝てしまう弟。昼間は暴れん坊で憎たらしくても、たまらなく愛おしくなる。
14ひきの ねずみ シリーズ
とにかく絵柄が細かくきれいな絵本。アニメ化もされている。私たちが見る世界よりもちょっと小さな世界の優しくて穏やかなお話。ねずみの家族のお話で、思いやりと小さな冒険に溢れた温かい世界が広がっている。14ひきそれぞれに個性があり、きっと自分たちに似ている性格の子がいるはず。
シルバニアファミリーが好きな人はきっとこの14ひきのねずみシリーズも大好きになること間違いなし。絵本の上に広がる小さな世界は丁寧に書き込まれており、文字が読めなくても十分楽しめるようになっている。
バーバパパ シリーズ
言わずと知れた世界的に有名な絵本。最近またグッズ販売やコラボが増えており、街中で見る機会が増えてきた。カラフルな絵でバーバパパとその家族が色々な場所を旅する。外国の絵本であるからだろうか、兄弟はみなそれぞれ色も形も様々でもちろん個性も強い。そしてパパとママは率直に愛の言葉を表現しあう、そんな開放的な家族観ですっきりとする。
見た目や性格が全く違っても認め合う大切さがバーバパパには詰まっていると気づいたのは大人になってからである。
バムとケロ シリーズ
こちらもベストセラーのこの絵本。とっても愛嬌のあるバムとケロの日常は心温まる。いろいろな場所に細かいストーリーが織り込まれており、読みだすとなかなかページが進まない絵本。
本筋とは関係のない所で進む小さな登場人物の行動も見逃せない。小さな登場人物は絵本の中で言葉を発することもなく名前も呼ばれないが、きちんと設定がある。
グッズも多数販売されており、私は大人になってからぬいぐるみを全部揃えてしまった。それほど可愛らしく愛着のもてるキャラクターが登場するのだ。
おさるのジョージ シリーズ
正確には「ひとまね こざる」シリーズ。
私はずっと「ヒトマ・ネコザル」という動物の一種だと勘違いしていた。
現実にヒトマもネコザルもいませーん。
「おさるのジョージ」としてアニメ化されている。
最近黄色い帽子のおじさんの聖人君子ぶりが話題になっている。どんなにジョージがイタズラしても声を荒げて叱らない、誰かの為を思ってしてくれたことならどんなに失敗してもまずは褒める。理想の子育てだろうけど、なかなかそうはうまくいかないもの。いたずらっ子のジョージがきっと自分の子供と重なってみえるだろう。
子供なんておサルさんと一緒、もしかしたらジョージの方が賢いかもしれない、そんな風に言われて育った私たち姉弟はジョージのことが他人(他猿?)には思えない。
ばばばあちゃん シリーズ
ばばばあちゃんが生活の知恵や普段の生活をちょっと楽しくしてくれる術を教えてくれる。外に家具を持ち出して夜空の下で寝てみたり、お花や雑草を凍らせてみたり…。日常をちょっとわくわくさせてくれるばばばあちゃんが大好きだった。
「こどものとも」「かがくのとも」に掲載されており、幅広い内容を扱った絵本。はじめてばばばあちゃんが登場したのは、1977年。長ーーく愛されている絵本だ。
ウォーリーを探せ シリーズ
今やハロウィンの仮装にも欠かせないウォーリー。赤と白のボーダーといえばウォーリーと思ってしまうくらい世間に広く浸透している。
大人は目がチカチカすると言うけれど、夢中になってウォーリーを探した子供時代。図書館にあるウォーリーの絵本は人気でどれもボロボロだった。あまりにも絵が細かすぎて1度ウォーリーを見つけても、また期間が空いてしまえばもうどこにいるのかわからない。大人になってやってみても楽しく子供時代に戻ったようだ。
ただ、目がチカチカするようになったことで大人になってしまったのだと現実を突きつけられるけれど。
ミッケ シリーズ
ウォーリーを探せとはまた違った雰囲気の絵本。写真の中から指定されたものを見つける。ウォーリーを探せの場合はウォーリーただ一人を見つけることが第一目的だったがミッケは探すものがたくさんあるのも醍醐味の一つ。
色々な雰囲気の写真がありお気に入りを見つけるのも良い。また、自分たちで探す物の問題を出し合って楽しむこともできる。
なんだか文体と内容がごちゃ混ぜになったような紹介になってしまったけれど、私がふと思い出した絵本たち。絵本はこの世の中にまだまだまだまだたくさんある。心温まる思い出の詰まった一冊、大人の荒んだ心に温かみを感じさせてくれた絵本たちを思い出していきたい。
yamepippi-nikki.hatenablog.com
『図書館の神様』を探していたら『図書館戦争』に出会って人生変わった話2
『図書館戦争』に影響を受けたのは
進路選択だけではなかった話
『図書館の神様』を探していたら『図書館戦争』に出会って人生変わった話第2弾。(第1弾は以下)
yamepippi-nikki.hatenablog.com
図書館戦争に出会ったのが中学1年生の冬。そこから2年間中学時代は尽きることない愛と飽くなき追求心で図書館戦争をを愛し抜いた。その後高校は地元の進学校へ進学。大学に進学しようと思ったらその高校に行くしかない、他に選択肢は無い地域だった。
受験戦争のない田舎の良さと選択肢のない田舎の閉塞感に辟易としながらも、それでも15歳の私は華のJK生活に心を躍らせた。いつの間にか私の目は図書館戦争ではなくseventeenを追うようになり、図書館戦争の話題を口にすることも少なくなっていった。
しかし図書館戦争の影響は計り知れず、図らずも私の高校生活をも大きく変えていったのである。
きっかけは高校1年生から2年生に上がる前の春休み。学校の企画で、学業・部活動の成績優秀者を中心に学年の選ばれし者だけが関西研修に行ける、というものがあった。自薦他薦問わず。何か変化が欲しくて、こんな田舎から早く出ていきたくて、この企画に応募した。
当時部活にも入っておらず、成績も鳴かず飛ばずのなんとなく過ごしていた高校生活で他薦されるようなものは何も持っていなかった。それでも関西研修に行ってみたかった。高校1年生はまだまだ思春期の多感な時期で、自薦なんてするような人は私しかいなかった。が、とにかく関西に行きたかった。とにかく刺激が、刺激が欲しい。新しい空気に触れたい。こんな退屈な毎日は息が詰まる。こんな田舎もう嫌だ。早く出ていきたい。外の世界を見てみたい。そしてなにより、
関西には有川浩さんがいらっしゃる!!!!!
もしかしたらもしかすると有川浩さんに会えるかもしれない。もしかしたらもしかすると噂の阪急電車に乗れるかもしれない。もしかしたらもしかすると会えるかもしれない!!もしかしたらもしかすると乗れるかもしれない!!もしかしたらもしかすると!!!!
私の中で何かが再び燃え上がった。その何かは紛れもなく、図書館戦争への、ひいては有川浩さんへの愛だった。
都会に行けば憧れのあの人に会える!という今も昔も変わらない田舎者の発想だった。関西といえど有川浩さんがいると考えられるのは兵庫県、研修で行くのは大阪・京都。物理的に離れすぎているうえに何よりも人口が多い。こんな田舎とはくらべものにならないくらい人が多い。会えるわけない。会えたならばそれは奇跡以外の何物でもない。と、頭では理解しつつも、その奇跡を願ってやまなかった。ふわふわとした高校生活の中で何かにすがりたかったのかもしれない。
目立った成績のない私はとにかく自己アピールをし続けた。自薦の文書を提出した後は、毎日担任の先生に「お願いしますよ!関西に連れて行ってくださいよ~!」とくねくねお願い。そうしていたらそのまま職員室に行かれ、ここで自己アピールをしろと言われた。それからは毎日毎日職員室に通って、なぜ関西研修に行きたいのかプレゼンをしたり文字に起こして紙面で配ったりもした。面倒くさがられても軽くあしらわれても全然めげなかった。会議で影響力のありそうな先生と重点的にお話したり、通りすがりの校長先生や教頭先生を捕まえてお話したり、最終的には「これで関西研修に連れて行ってくれなかったら職員室の真ん中で泣いてやる!」と職員室の真ん中で言うまで拗らせてしまった。もはや執念と我儘の塊だった。
高校生活の中でこんなに熱くなったことはそれまでなかったし、自分自身もこんなに積極的だったのかと驚いた。先生方もいつの間にか、お前がそんなに根性あるヤツだったとは知らなかったよ、と喜んでくれていた。
愛はパワーだ。
パワーの源だ。
こうして無事関西研修に行くことが決まった私は、しみじみと図書館戦争に出会っていなければこのパワーは生まれてこず、関西研修に行くこともなかったろうなと噛み締めるのである。
関西研修では有川浩さんに会えるわけもなく、阪急電車に乗ることもなく終わった。
やっぱり奇跡は起きなかった。
それでもこの関西研修は16歳の田舎者に大きな刺激を与え、学校側の思惑通りこれからもっと頑張ろうと思えた。何事にも影響されやすい、単純な性格は良いのか悪いのか。
とにかく大満足して関西研修を終え、次の一大イベントは修学旅行だな楽しみだな、くらいに考えていた。
しかし図書館戦争・有川浩さんの影響はまだまだ私の高校生活を変えてくことになる…!関西研修なんて序の口だったのだ…!!
『図書館の神様』を探していたら『図書館戦争』に出会って人生変わった話
『図書館の神様』を探してたら
『図書館戦争』に出会って
人生変わった話
人生の中で最ものめり込んだ作家といってもいい有川浩。中学一年生の頃に当時の担任から『図書館の神様』(瀬尾まいこ)の主人公があなたにそっくりよ、と言われ探していたら『図書館戦争』に出会ったのがはじまり。
『図書館の神様』の主人公は、明朗快活で勉強もできるし運動もできるけど孤独らしい。そんな孤独な所が私と似ているらしい。
この担任は度々私のことを孤独だねと笑ってくる。
この頃の中学生というと友達グループやスクールカーストがより強固になり、「ぼっち」にならないようにお互いの顔色を窺いあい慣れ合い始める時期だった。人間関係もより複雑になり、誰々が誰々のことを嫌っているだの誰と誰が付き合ってるだの別れただの、日々の情報に最新の注意を払い身の振り方を考えなければいけなかった。処世術も知らない多感な思春期には疲れる毎日だったが、それでも「ともだち」と毎日楽しく過ごそうとみんなもがいていた。
そんな中での「孤独」という言葉は、誉め言葉ではない。
むしろバカにされているように感じられた。
私は、孤独な主人公とは似ても似つきません!と跳ね返してやるのだと意気込んで図書館に行ったのだった。
『図書館の神様』の場所を司書の先生から聞いていざ棚に行ってみると、『図書館の神様』はなく代わりに『図書館戦争』という本が目についた。
なんだが物騒なタイトルだけど戦争の最中に神様が出てくるに違いない。本の中を開けもせずに借りた。主人公はきっと図書館の神様で、きっときっとその神様が戦争を止める話なんだ。
ところがどっこい。主人公は神様なんかじゃなかった。
そもそも神様なんて出てこなかった。
(『図書館の神様』にも神様は出てこなかった)
最初の1ページ目から運動神経だけが取り柄の体育会系女子が教官に怒鳴られながら走り回り腕立てをする描写。
果たしてこの体育会系女子が孤独なのか。私に似ているのか。
当時運動部に属しこそしていたが、運動神経がいいわけでもないし、脳みそまで筋肉になってしまいそうな熱血な人は苦手だった。
そもそもこんな熱血で熱く指導されている人が孤独?
一体どこが孤独なのかさぁ見せてごらん!
結論から言うと『図書館戦争』は『図書館戦争』であって『図書館の神様』ではないので主人公が孤独なわけではなかった。ただ、願い通り私とは似ても似つかなかった。
『図書館の神様』だと思って読む『図書館戦争』は最初のページで違和感こそ感じたものの、読み進めていくと神様が居ないことも熱血体育会系な登場人物も何にも気にならなくなって、借りたその日に一冊300ページ近くを読みほした。
部活も宿題も予習復習も進研ゼミもピアノの練習も家の手伝いもあったけど、全部終わらせた上で徹夜して読んだ。
図書館戦争を言い訳に何かの手を抜いたら図書館戦争に対して失礼だ。
登場人物たちに恥じぬよう全部全力で終わらせて全力で読破した。
『図書館の神様』という誤解を跳ね除けたったの半日で、あっという間に信者のかんせーい。
そこから沼にはまり、小学生のころからコツコツ貯めていたお小遣いを図書館戦争に貢いでいくことになる。
すぐにハードカバーで図書館戦争全巻を揃えた。
図書館戦争は小説には珍しく参考文献がついていたので、その参考文献も全て読んだ。
閉架図書を利用し他図書館からも取り寄せ、中学生ができうる限り真摯に取り組ませていただいた。
気が付けば自由研究は「図書館の自由に関する宣言」になっていて、進路希望も「図書館」について学べる大学を探し始めていた。
おバカ。
実家では完全にネット環境が遮断されていたが、祖父母宅にあるPCのセキュリティをかいくぐって必死に二次創作を読んだ。
アニメが放送されたらネットでもTVでも視聴し、もちろん録画もした。
アニメDVDも初回購入者特典付きのものを予約して購入し、文庫版が出れば文庫版もまた購入。
実写映画化と聞けば学生ながら6回も映画館に足を運んで、プレミアムDVDBOXも購入した。
ただ、中高生のお小遣いでここまで貢ぐことができるわけもなく、アニメDVDは奇数巻しか揃えられなかった。痛恨の極み!
極めつけは、大学の学部も図書館戦争をこじらせて選びそこに進学したこと。
大学入試の時点で図書館情報大学はなくなっており、模試の志望校記入欄に書けないことが残念だった。入学の意志は正直なかったが、「図書館」と大学名にあるからには書いてみたかった。
とにもかくにも、私は青春時代を図書館戦争と共に過ごした。図書館戦争に出会っていなければこの学部に進学することもなかっただろうし、「ヲタク」と呼ばれる界隈を覗くことすらしなかったかもしれない。遅かれ早かれ染まったかもしれないけど。
この学部に進学してなかったらこんな生活送ってないだろうしまんまと人生変えちゃったなあというお話。
『図書館の神様』も面白いので読んでみてね。
yamepippi-nikki.hatenablog.com