自由研究所

大学院を辞めた。元院生としか名乗れない何者でもない名刺を持たない25歳のお話。

また好きになりたい。

本当に本が好きだった。本当に好きだったのよ。

いつも学校図書館の上位貸し出しランキングに入ってたし、登下校中も歩きながら本を読んでた。危ないからやめろと何度注意されてもやめられなかった。

初めて心が震える感覚を教えてくれたのも本だった。初めての徹夜も本だった。学校生活の活路を広げてくれたのも本だし、進路選択に大きな影響を与えたのも本だった。

読みかけの本が常に手元にないと不安で、一瞬でも隙間時間ができれば本を読んだ。活字中毒だったのかもしれない。こんな幸せな中毒はないと思った。

 

友達と遊ぶより本が好きで、家族と過ごすよりも本を読む時間の方が大切だったのに、今はもう読めなくなってしまった。

 

もう3年以上小説を読んでいない。小説を片手に持っていたら、「そんな本読むくらいなら論文を読め」と言われるような世界に身を置いてしまった。おかしいな、小説や絵本の研究をしたかったはずなのに。

 

報告書もできていないのに趣味の読書か良いご身分だ

レポートもできていないのに小説なんか読んでるのか

小説なんか読んで研究はどうした

こいつ、小説が好きなんだって。研究もできてないのに。

 

いつの間にか小説を手にすることが怖くなった。

これらの言葉は私だけじゃなく小説のことも見下しバカにしていると思っていた。小説「なんか」。「そんな」本。私とは違い小説に価値を見出さない集団だから仕方ないと自分を納得させていた。

 

今となって考えてみるとあの頃は、私の好きな映画も音楽も、メイクや服装でさえ否定されていた。あの集団は私に関わるもの全てを否定したかっただけなのかもしれない。

 

小説に限らず「本を読むこと」が好きだったから、最初は専門書でも論文でも、活字が読めれば大丈夫だと思っていた。実際大学受験の時は国語の勉強が息抜きになっていたから。

でもまあ状況と環境は違ってて。特に私が身を置いた場所はプライベートと研究の境目がなく、休日なんて概念がなかった。あるのは研究だけ。研究者になりたい人にはもってこいの環境だったのかもしれない。

 

でも、こんな世界に身を置くのは私の性分に合っていないと早く気付くべきだった。こんな場所早く去るべきだった。心が壊れてしまってから気付いてももう遅い。

 

気付けない時点で心はもう既に壊れていたのだ。

 

好きだった本の記憶もどんどん薄れてくる。丸1日居ても時間が足りなかった本屋さん。今は本棚に囲まれるだけで動悸がする。

 

お前はもう、小説すら読めないのか。お前はもう、こんな簡単なことも理解できないのか。本棚がぐるぐると私を責めてくる。小説「すら」とはなんだ。小説が「簡単」だとはどういう了見か。今でもあの集団が心の中に顔を出す。

 

悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。

 

好きだったのに。あんなに、好きだったのに。

 

今は、怖い。

 

こうやって人は趣味を奪われていくのか。

時間がない、お金がない。それだけじゃない。

時間ができてもお金ができても、気持ちが戻ってこない。

疲れ果てた心には何も響かない。文字が頭を滑り落ちていく。

 

 

干上がって地割れした田んぼに稲は突き刺さらない、そんな感じ。